森鴎外『舞姫』の現代語訳と意味の解説2

この記事で解決できること
・現代語訳が分かります。
・単語の意味が分かります。
・テストが聞かれる重要箇所が分かります。

  

では、『舞姫』の第二段落を見ていきましょう。

前回の解説はこちら。

  

森鴎外『舞姫』の現代語訳と意味の解説1

  

『舞姫』本文(第二段落)

余は幼き頃より厳しき庭の訓【注1】(おしえ)を受けし甲斐に、父をば早く喪ひつれど、学問の荒み衰ふることなく、旧藩の学館【注2】にありし日も、東京に出でて予備黌【注3】(よびこう)に通ひしときも、大学法学部に入りし後も、太田豊太郎といふ名はいつも一級の首【注4】(はじめ)にしるされたりしに、一人子の我を力になして世を渡る母の心は慰みけらし【注5】。十九の歳には学士の称を受けて、大学の立ちてよりその頃までにまたなき名誉なりと人にも言はれ、某省に出仕して、故郷なる母を都に呼び迎へ、楽しき年を送ること三年ばかり、官長の覚え殊なりしかば【注6】、洋行して一課の事務を取り調べよとの命を受け、我が名を成さんも、我が家を興さんも、今ぞと思ふ心の勇み立ちて、五十を越えし母に別るるをもさまで悲しとは思はず、はるばると家を離れてベルリンの都に来ぬ。

余は模糊(もこ)たる功名の念【注7】と、検束【注8】に慣れたる勉強力とを持ちて、たちまちこの欧羅巴(ヨーロッパ)の新大都の中央に立てり。なんらの光彩ぞ、我が目を射んとするは【注9】なんらの色沢ぞ、我が心を迷はさんとするは【注10】。菩提樹下と訳するときは、幽静なる境なるべく思はるれど【注11】、この大道髪のごとき【注12】ウンテル‐デン‐リンデン【注13】に来て両辺なる石畳の人道を行く隊々(くみぐみ)の士女を見よ。胸張り肩そびえたる士官の、まだウィルヘルム一世【注14】の街に臨める窓によりたまふ頃なりければ、さまざまの色に飾りなしたる礼装をなしたる、顔よき少女(おとめ)の巴里(パリ)まねびの粧ひしたる、かれもこれも目を驚かさぬはなきに、車道の土瀝青(アスファルト)の上を音もせで【注15】走るいろいろの馬車、雲にそびゆる楼閣の少しとぎれたる所には、晴れたる空に夕立の音を聞かせてみなぎり落つる噴井の水、遠く望めばブランデンブルク門【注16】を隔てて緑樹枝をさし交はしたる中より、半天に浮かび出でたる凱旋塔【注17】の神女の像、このあまた【注18】の景物目睫【注19】(もくしょう)の間に集まりたれば、初めてここに来し者の応接にいとまなきもうべなり【注20】。されど我が胸にはたとひいかなる境に遊びても、あだなる【注21】美観に心をば動かさじ【注22】の誓ひありて、常に我を襲ふ外物を遮りとどめたりき。

余が鈴索【注23】(すずなわ)を引き鳴らして【注24】を通じ、公の紹介状を出だして東来の意を告げしプロシアの官員は、皆快く余を迎へ、公使館よりの手続きだに【注25】事なく済みたらましかば【注26】、何事にもあれ、教へもし伝へもせん【注27】と約しき。喜ばしきは、我がふるさとにて、独逸(ドイツ)、仏蘭西(フランス)の語を学びしことなり。彼らは初めて余を見しとき、いづくにて【注28】いつの間にかくは学び得つると問はぬことなかりき。

さて官事の暇あるごとに、かねて公の許しをば得たりければ、ところの大学に入りて政治学を修めんと、名を簿冊【注29】記させつ【注30】

ひと月ふた月と過ぐすほどに、公の打ち合はせも済みて、取り調べも次第にはかどりゆけば、急ぐことをば報告書に作りて送り、さらぬをば【注31】写しとどめて、つひには幾巻をかなしけん【注32】。大学のかたにては、幼き心に思ひ計りしがごとく、政治家になるべき特科のあるべうもあらず【注33】、これかかれかと心迷ひながらも、二、三の法家の講筵【注34】(こうえん)に列なることに思ひ定めて、謝金を収め、行きて聴きつ。

『舞姫』語句の意味(第二段落)

語句【注】 意味
1 庭の訓 家庭教育。
2 旧藩の学館 江戸時代の藩の学校。
3 予備黌 東京大学予備門。
4 一級の首 成績発表で一番最初に名前があること。
5 慰みけらし 慰めとなったらしい。「けらし」は、過去の助動詞「けり」の連体形+推定の助動詞「らし」の終止形。
6 殊なりしかば 格別であったので。「殊なり」はナリ活用の形容動詞。「しか」は過去の助動詞。
7 模糊たる功名の念 漠然とした功名の気持ち。「模糊たる」はタリ活用の形容動詞。
8 検束 自己抑制。
9 なんらの光彩ぞ、我が目を射んとするは どのような光彩であるのか、私の目を射ようとするのは。倒置になっている。
10 なんらの色沢ぞ、我が心を迷はさんとするは どのような色沢であるのか、私の心を惑わそうとするのは。倒置になっている。
11 幽静なる境なるべく思はるれど ひっそりとして静かなところであろうと思われるけれど。「幽静なる」はナリ活用の形容動詞。「べく」は推量の助動詞。「るれ」は自発の助動詞。
12 大道髪のごとき 大通りがまっすぐ伸びていることのたとえ。
13 ウンテル‐デン‐リンデン ベルリンの大通りの名。
14 ウィルヘルム一世 ドイツ帝国の皇帝。
15 せで しないで。「で」は打消の接続助詞。
16 ブランデンブルク門 ウンテル‐デン‐リンデン通りの西端にある門。
17 凱旋塔 デンマーク、オーストリア、フランスとの戦争に勝利したことを記念した塔。
18 あまた たくさん。
19 目睫 目前。
20 うべなり もっとものことだ・当然のことだ。ナリ活用の形容動詞。
21 あだなる はかない。ナリ活用の形容動詞。
22 動かさじ 動かさまい。「じ」は打消意志の助動詞。
23 鈴索 呼び鈴。
24 謁 面会。
25 だに さえ。
26 事なく済みたらましかば 問題なく済んだなら。「ましか」は反実仮想の助動詞。
27 伝へもせん 伝えもしよう。「ん」は意志の助動詞。
28 いづくにて どこで。
29 簿冊 帳面。
30 記させつ 記させた。「せ」は使役の助動詞。「つ」は完了の助動詞。
31 さらぬをば そうでなければ。
32 かなしけん なったのだろうか。「か」は係助詞の疑問。「けん」は過去推量の助動詞。
33 あるべうもあらず あるはずもなく。「べう」は当然の助動詞「べく」がウ音便化したもの。
34 法家の講筵 法律学者の講義。

『舞姫』現代語訳(第二段落)

私は幼い頃から厳しい家庭教育を受けた甲斐あって、父を早くにうしなったけれど、学問への意欲が衰えることなく、故郷の学校にいた時も、東京にやってきて予備校に通った時も、大学の法学部に入ったあとも、太田豊太郎という名前はいつも学級の成績発表で一番に記されており、一人っ子の私を力にして生きる母の心を慰めとなったらしい。19 の歳には学士号を受けて、大学始まって以来のまたとない名誉であると人にも言われ、何々省で働くようになり、故郷の母を東京に呼び迎え、楽しい日々を送ること 3 年ぐらい、官長の評判が格別だったので、ヨーロッパへ渡航して一課の事務を取り調べよとの命令を受け、自分の名を世間に知らしめようとも、太田の家を興そうとするのも、「今だ」と思う心が勇み立って、50 才を越えた母に別れるのもそれほどまで悲しいとは思わず、はるばると家を離れてベルリンの都に来た。
私は漠然とした功名の気持ちと、自己抑制に慣れた勉強力を持って、すぐにこのヨーロッパの新大都の中央に立った。どのような光彩であるのか、私の目を射ようとするのは。どのような色沢であるのか、私の心を惑わそうとするのは。「菩提樹の下」と翻訳するときは、ひっそりとして静かなところであろうと思われるけれど、女性のロングヘアのようにまっすぐな「ウンテル・デン・リンデン通り」に来て、道の両側にある石畳の歩道を歩く男女を見よ。胸を張って肩がそびえたった士官が、まだヴィルヘルム 1 世の御世の街並みで、窓から眺められる頃であったので、さまざまの色に飾りたてた礼服を身につけている人や、容姿の良い少女がパリをまねたよそおいをしていて、どれもこれも目を驚かせないものはなく、車道のアスファルトの上を音も立てずに走るいろいろな馬車、雲にそびえるほどの建物の少しとぎれたところには、晴れた空に夕立の音を聞かせてみなぎり落ちる噴水の水、遠くを眺めるとブランデンブルク門を隔てて、緑の木々が枝をさし交わしている中から、半分天に浮かび出ている凱旋塔の女神像、これらたくさんの景物が目前に集まっているので、初めてここに来た人が反応するゆとりがないのも当然のことである。だが私の胸には、たとえどのような場所にやってきても、はかない美観に心を動かすまいという誓いがあって、つねに私を襲う外物を遮り止めていた。
私が呼び鈴を引き鳴らして、面会をお願いして、公の紹介状を出して日本から来たことの意を告げたプロイセンの官員は、みな快く私を迎え、「公使館からの手続きさえ滞りなく済んだならば、何でも、教えもし伝えもしよう」と約束した。喜ばしいのは、私の故郷で、ドイツ、フランスの言葉を学んだことである。彼らははじめて私に会ったとき、どこでいつの間に習得したのかと聞かないことはなかった。
そして公務のひまのあるごとに、あらかじめ公の許しを得ていたので、この街にある大学に入って政治学を修めようと、名前を帳面に記させた。
ひと月ふた月と過ごすうちに、公の打ち合わせも済んで、取り調べも次第にはかどっていくので、急ぎのことを報告書に作って送り、そうではなければ写しとどめて、結局どれくらいの分量になったのだろうか。大学の方では、幼い心に思い計ったように、政治家になるための科目があるはずもなく、これかあれかと心迷いながらも、二、三人の法学者の講義に参加することに思いを定めて、受講料を収め、出席して聴いた。

『舞姫』第二段落重要箇所  

  

いかがでしたでしょうか。

第二段落で特に重要な箇所は次の通りです。

  
  

・「我が名を成さんも、我が家を興さんも、今ぞと思ふ心」とは、どのような思いでしょうか?
→立身出世して自分の功名心を立てることと、母のために太田家を再興するのに今この機会だという思い。

・「なんらの光彩ぞ、我が目を射んとするは」に使われている表現技法は何でしょう?
→倒置法。

・「あだなる美観に心をば動かさじ」と豊太郎が考える根拠となる考えを、本文中より25字以内で探しましょう?(句読点を含む)

→我が名を成さんも、我が家を興さんも、今ぞと思ふ心(24字)

  

続きは以下のリンクからどうぞ。

森鴎外『舞姫』の現代語訳と意味の解説3

  

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