法政大学の古文の入試問題の解説(2012年)

お断り:この記事には、最初に倉橋先生とゆかいな仲間たちの戯れがあります。お急ぎの方は、上にある目次の見たい項目をクリックすると、その解説に飛びますので、そちらをご利用ください。なお、解説は真面目にしております。

  

今回は2012年の文学部、
経営学部、人間環境学部の
古文の入試問題を
学習しましょう。

  

はじめまして。
倉橋先生。
宜しくお願い致します。

  

えっ?もしかして、
法政大学のマスコット
キャラクターの
えこぴょん?

  

いいえ。違います。
ただの兎です。
名壺に「兎」って
書いてあるでしょ。

(※「名壺」とは江戸時代の絵本などで、登場人物の名前の一文字を着物の腕の部分に書いたものです。)

  

これは失礼致しました。
似ていたもんで…。
こちらこそお願いします。
では学習しましょう。

本文が長いので、前半と後半に分けます。

過去問に挑戦!

前半の本文

次の文章を読んで、後の問いに答えよ。

西行法師、男なりける時【注1】、①かなしくしける女(むすめ)の、三、四ばかりなりけるが、重くわづらひて、限りなりけるころ、院の北面のものども、弓射て遊びあへりけるにいざなはれて、心ならず②ののしりくらしけるに、郎等(ろうどう)男の走りて、耳にものをささやきければ、心知らぬ人は、なにとも思ひいれず。西住(さいぢゆう)法師、いまだ男にて、源次兵衛尉(ひょうゑのじよう)とてありけるに、目を見合せて、「Aこのことこそすでに」とうちいひて、人にも知らせず、さりげなく、いささかの気色(けしき)もかはらでゐたりⅰ、ありがたき心ⅱなりとぞ、西住、のちに人に語りける。

【注】 注1―「男なりける時」 在俗の時。

  
  

前半の設問

(設問は前半の部分のものを載せています。そのため、実際の設問の順序と異なります。)

  

問一 傍線部①「かなしくしける」と②「ののしり」の解釈として最も適切なものを次の中からそれぞれ一つ選べ。

① ア かわいがっていた  イ 心配していた  ウ 辛く感じていた  エ 同情していた    オ 見捨てていた

② ア うわさをして  イ 騒いで  ウ 怒鳴って  エ 馬鹿にして   オ 反感を持って

問二 傍線部A「このことこそすでに」とあるが、どのような意味か。「このこと」の内容と、「すでに」の下に省略されている内容が具体的にわかるように二十字以内で説明せよ。

問三 傍線部ⅰ「し」とⅱ「なり」の活用形として正しいものを次の中からそれぞれ一つずつ選べ。

ア 未然形  イ 連用形  ウ 終止形  エ 連体形  オ 已然形  カ 命令形

  
  
  
  
  

前半の設問の解説

  

では、問題解説をしていきます。

問一は古文単語の意味の問題です。①の「かなし」と②の「ののしる」はいずれも重要単語で、板野先生の『ゴロで覚える古文単語ゴロ565』にも載っています。
「かなし」は漢字で書くと「愛し」で、「いとおしい、かわいい」という意味があります。
「ける」は過去の助動詞「けり」の連体形です。そのため、①の選択肢のすべてが「~いた」という過去形になっています。
「ののしる」は、「大騒ぎする」という意味があります。

「かなし」と「ののしる」は、入試でよく出る単語ですので、覚えましょう。

問一の正解:①ア  ②イ
  

問二は、指示語の内容と係り結びの省略された結びの意味を補う問題です。

係り結びの省略についての詳しい解説は、こちらのページをご参照ください。

係り結びの省略と流れの解説の頁(ページ)

ます、傍線Aの本文に係助詞の「こそ」がありますので、省略された部分の文末は已然形になります。係り結びの省略は文脈から判断できる内容を省略しますので、今回は「失せにけれ(亡くなってしまった)」や「ありけれ(あった)」などが入ります。
次に「このこと」という指示語の内容ですが、前に出てくる「限りなりける(臨終となった)」がその内容になります。
よって、解答は次のようになります。

問二の正解:娘の臨終が来て、亡くなってしまったこと
  

問三は、助動詞の活用形の問題です。

傍線ⅰ「し」は、過去の助動詞「き」の連体形です。「し」の下に「こと」が省略されています。傍線ⅱ「なり」は、断定の助動詞「なり」の終止形です。

よって、解答は次のようになります。

問三の正解:ⅰ エ 連体形  ⅱ ウ 終止形

最後に現代語訳の載せておきます。

  

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現代語訳

 西行法師が、在俗であった時、可愛がっていた娘で、年齢が3、4歳くらいであった時に、重い病気になって、臨終が近付いてきた。その時に院の北面の武士たちが、弓を射て遊び合ったいたが、それに誘われて、本意ではないが西行は(場のために)大騒ぎをして過ごした。家来が走ってきて、西行の耳もとでささやいた所、事情を知らない者は、このことについて何とも思わなかった。その頃は西住法師も、在俗であって、源次兵衛尉と名乗っていたが、お互い目を見合わせて、西行は「娘の臨終が来て、すでに亡くなってしまった」と言ったが、誰にも知らせず、そのような気配を見せず、少しも様子を変えないでいた。「なかなかありそうにない心ばせである」と西住は後に人に語った。
  

  

いかがでしたでしょうか?

前半はそれほど難しい問題はありませんので、法政大学を合格するのであるなら、ノーミスでなければならない問題となります。

後半は別のページに載せますので、そちらもご参照下さい。

  

 法政大学の古文の入試問題(2012年)の後半の頁(ページ)

  
  

【朋誠堂喜三二作恋川春町画『親敵討腹鞁』(安永六年刊)を参考に挿入画を作成】

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