今夜は、星がよく見える。
ん、誰か来る。
えっさ、ほいさ。
えっさ、ほいさ。
あれ?
籠に乗っているのは、チュー殿様じゃない?
おお、倉橋じゃないか。
お主、こんな寒い日に外に出て、何をしているんじゃ?
煙草を吸っていました。
我が家は禁煙ですので。
ところで、チュー殿様はどちらに行かれるのですか?
わしか?
わしはこれから丁(ちょう)に行くんじゃ。
丁?
丁とは、どこのことですか?
お主、丁も知らないのか?
野暮な奴じゃ。
丁とは吉原のことじゃ。
お主は吉原に行ったことはあるか?
行ったことはありません。
妻が怖いもので・・・。
そうか、お主も苦労しているじゃのう。
まあ、行かん方がよい。
お主のような田舎侍は「浅黄裏(あさぎうら」と呼ばれて馬鹿にされるだけじゃ。
※「浅黄裏とは、田舎侍が着物の裏地に、あさぎ木綿を使っていたことから、遊廓で、野暮で武骨な田舎侍の客を馬鹿にして呼んだ言葉のことです。」
ちょうどよい。
ここで、ちょっと講義せい。
聞いてやるぞ。
えっ?
今ですか?
外で寒いですし、丁に行くのが遅くなりますが…。
細かいことは気にするな。
さっさとせい。
分かりました…。
やりましょう。今回は文学部の問題です。
本文が長いので、前半と後半に分けます。
過去問に挑戦!
前半の本文
次の文章を読んで、後の問に答えなさい。
男君たちは、代明(よあきら)の親王(みこ)の御女(おんむすめ)のはらに、前少将挙賢(たかかた)・後少将義孝(よしたか)とて、花を折りたまひし【注1】君たちの、殿【注2】うせたまひて三年ばかりありて、天延二年【注3】甲戌(きのえいぬ)の年、皰瘡(もがさ)【注4】おこりたるにわづらひたまひて、前少将はあしたにうせ、後少将はゆふべにかくれたまひにしぞかし。一日がうちに二人の子をうしなひたまへり 1 母北の方の御心地、いかなりけむ、いとこそかなしくうけたまはり 2 。
かの後少将は義孝とぞきこえ 3 。御かたちいとめでたくおはし、としごろきはめたる道心者にぞおはしける。病重くなるままに、生くべくもおぼえたまはざりければ、母上に申したまひけるやう、「おのれ死にはべりぬとも、とかく例のやうにせさせたまふな。しばし法華経誦じたてまつらむの本意侍れば、かならずかへりまうで来べし」とのたまひて、方便品【注5】をよみたてまつりたまうてぞうせたまひける。
【注】 注1 花を折りたまひしーはなやかで美しい容姿でいらっしゃった。
注2 殿ー藤原伊尹。
注3 天延二年ー西暦九七四年。
注4 皰瘡ー天然痘。
注5 方便品ー法華経二十八品のうちの第二。
前半の設問
(設問は前半の部分のものを載せています。そのため、実際の設問の順序と異なります。)
問一 空欄 1 ・ 2 ・ 3 には、助動詞「き」が入る。それぞれふさわしい形に活用させよ。
問二 本文中に、音便の形になっている補助動詞が一つある。そのまま一語で抜き出せ。
前半の設問の解説
前半の設問は、問一、問二と文法の問題となっており、中央大学を合格する人は、これらの問題を一つも間違えてはいけない基礎的な問いです。
では、問一の助動詞の活用形を入れる問題から見ていきましょう。
まず、過去の助動詞「き」の活用表から確認しましょう。
あとは、各空欄に何形の「き」が入るかが分かれば完璧です。
空欄 1 から見ていくと、空欄 1 の直後に「母」という名詞があります。名詞は体言ですので、上の言葉は連体形になります。よって、空欄 1 に入る言葉は「し」になります。
次に空欄 2 と 3 ですが、両方とも係り結びの法則がからんでいます。係り結びの法則に関しては以下のページで詳しく解説していますので、分からない方は確認して下さい。
空欄 2 は、前に「こそ」という係助詞がありますので、已然形になります。よって、空欄 2 に入る言葉は「しか」になります。
空欄 3 は、前に「ぞ」という係助詞がありますので、連体形になります。よって、空欄 3 に入る言葉は「し」になります。
問一の正解:1 し 2 しか 3 し
次に、問二の音便を探す問題ですが、まず音便の種類を確認しておきましょう。音便は全部で四種類あります。イ音に変わる「イ音便」、ウ音に変わる「ウ音便」、ツ音に変わる「促音便」、ン音に変わる「撥音便」です。補助動詞とは、前にある動詞の補助的な役割をする動詞のことで、主に敬語表現がそれにあたります。今回の文章には、「たまふ」という尊敬語や「たてまつる」という謙譲語が、たくさん出てきますが、音便変化しているものを頑張って探します。そうすると、「方便品をよみたてまつりたまうてぞうせたまひける。」という文章の「たまう」が、「たまひ」が「たまう」に変わったウ音便であることが見つけることができます。この問題は古文の勉強を捨てていない人であればだれでも解ける問題ですので、あきらめないで探しましょう。
問二の正解:たまう
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現代語訳
藤原伊尹公の男君たちは、代明親王の娘を母として、前少将挙賢、後少将義孝といって、桜を折なさったような美しい君たちでいらっしゃったが、父の伊尹殿がお亡くなりになって三年ぐらい経った、天延二年甲戌の年、天然痘が流行したときに、この君たちが病気にかかりなさって、前少将は朝に亡くなり、後少将は夕方にお亡くなりになってしまったのだ。一日のうちに、二人の子を失いなさった母北の方のお気持ちはどのようであっただろうか、とても悲しいと承った。
その後少将は、義孝と申し上げた。ご容姿はとてもすばらしくていらっしゃって、長年この上なく熱心な仏道の信者でいらっしゃった。病気が重くなるにつれ、これ以上生きられるとは思われなさらなかったので、母上に申し上げなさったことには、「私が死んでしまいましても、あれこれといつもの葬儀の作法のようになさいますな。しばらく法華経を読誦を差し上げようとのことが本来の願いでございますので、必ずこの世に帰って来るでしょう」とおっしゃって、法華経の方便品をお読み差し上げなさって、亡くなってしまった。
いかがでしたでしょうか。
問一と問二はまったく難しくありません。
この後に、難しい問題が出てきますので、中央大学を合格するためにはこの四問は満点でなければなりません。
後半は別のページに載せますので、そちらもご参照下さい。
中央大学の古文の入試問題の解説(2011年)続きの頁(ページ)
【恋川春町作画『宝船福正夢 』(天明三年刊)・市場通笑作鳥居清長画『怪物昼寝鼾 』(天明四年刊)を参考に挿入画を作成】