・現代語訳が分かります。
・単語の意味が分かります。
・テストが聞かれる重要箇所が分かります。
では、『舞姫』の第三段落を見ていきましょう。
前回の解説はこちら。
『舞姫』本文(第三段落)
かくて三年ばかりは夢のごとくにたちしが、時きたれば包みても包みがたきは人の好尚なるらん【注1】、余は父の遺言を守り、母の教へに従ひ、人の【注2】神童なりなど褒むるがうれしさに怠らず学びしときより、官長の【注2】善き働き手を得たり【注3】と励ますが喜ばしさにたゆみなく【注4】勤めしときまで、ただ所動的【注5】、器械的の人物になりて自ら悟らざりしが、今二十五歳になりて、既に久しくこの自由なる大学の風に当たりたればにや【注6】、心の中なにとなく穏やかならず、奥深く潜みたりしまことの我は、やうやう表に現れて、昨日までの我ならぬ我を攻むるに似たり。余は我が身の【注2】今の世に雄飛すべき【注7】政治家になるにもよろしからず【注8】、また善く法典をそらんじて【注9】獄を断ずる【注10】法律家になるにもふさはしからざるを悟りたりと思ひぬ【注11】。余はひそかに思ふやう【注12】、我が母は余を活きたる辞書となさん【注13】とし、我が官長は余を活きたる法律となさんとやしけん【注14】。辞書たらんはなほ堪ふべけれど【注15】、法律たらんは忍ぶべからず【注16】。今までは瑣々(ささ)たる【注17】問題にも、きはめて丁寧にいらへしつる【注18】余が、この頃より官長に寄する【注19】文にはしきりに法制の細目にかかづらふべき【注20】にあらぬを論じて、ひとたび法の精神をだに得たらんには【注21】、紛々たる万事は破竹のごとくなるべし【注22】などと広言しつ。また大学にては法科の講筵をよそにして、歴史・文学に心を寄せ、やうやく蔗を嚼む境【注23】に入りぬ。
官長はもと心のままに用ゐるべき器械をこそ作らんとしたりけめ【注24】。独立の思想をいだきて、人並みならぬ面持ちしたる男をいかでか喜ぶべき【注25】。危ふきは余が当時の地位なりけり。されどこれのみにては、なほ我が地位を覆すに足らざりけんを、日頃伯林(ベルリン)の留学生のうちにて、ある勢力ある一群れと余との間に、おもしろからぬ関係ありて、かの人々は余を猜疑し、またつひに余を讒誣(ざんぶ)する【注26】に至りぬ。されどこれとてもその故なくてやは【注27】。
かの人々は余がともに麦酒(ビール)の杯をも挙げず、球突きの棒(キュウ)【注28】をも取らぬを、かたくななる心と欲を制する力とに帰して、かつは【注29】嘲りかつは【注29】嫉みたりけん【注30】。されどこは余を知らねばなり。ああ、この故よしは、我が身だに知らざりしを、いかでか人に知らるべき【注31】。我が心はかの合歓(ねむ)といふ木の葉に似て、物触れば縮みて避けん【注32】とす。我が心は処女に似たり【注33】。余が幼き頃より長者の教へを守りて、学びの道をたどりしも、仕への道を歩みしも、みな勇気ありてよくしたるにあらず、耐忍勉強の力と見えしも、みな自ら欺き、人をさへ欺きつるにて、人の【注2】たどらせたる道を、ただ一筋にたどりしのみ。よそに心の乱れざりしは、外物を棄てて顧みぬほどの勇気ありしにあらず、ただ外物に恐れて自ら我が手足を縛せしのみ。故郷を立ちいづる前にも、我が有為(うい)【注34】の人物なることを疑はず、また我が心のよく耐へんことをも深く信じたりき。ああ、かれも一時。船の横浜を離るるまでは、あつぱれ豪傑と思ひし身も、せきあへぬ【注35】涙に手巾(しゅきん)【注36】を濡らしつるを我ながら怪し【注37】と思ひしが、これぞなかなかに【注38】我が本性なりける。この心は生まれながらにやありけん【注39】、また早く父を失ひて母の手に育てられしによりてや生じけん【注40】。
かの人々の【注2】嘲るはさることなり【注41】。されど嫉むは愚かならずや【注42】。この弱くふびんなる心【注43】を。
赤く白く面(おもて)を塗りて、赫然(かくぜん)たる【注44】色の衣(きぬ)をまとひ、珈琲店に座して客を引く女を見ては、行きてこれに就かん【注45】勇気なく、高き帽をいただき、眼鏡に鼻をはさませて、プロシアにては貴族めきたる【注46】鼻音にて物言ふレエベマン【注47】を見ては、行きてこれと遊ばん勇気なし、これらの勇気なければ、かの活発なる同郷の人々と交はらんやうもなし。この交際の疎きがために、かの人々はただ余を嘲り、余を嫉むのみならで【注48】、また余を猜疑することとなりぬ。これぞ余が冤罪を身に負ひて、暫時(ざんじ)の間【注49】に無量の艱難(かんなん)を閲(けみ)し尽くす【注50】なかだちなりける。
『舞姫』語句の意味(第三段落)
語句【注】 | 意味 |
1 人の好尚なるらん | 人の好みなのだろう。「なる」は断定の助動詞。「らん」は現在の原因推量の助動詞。 |
2 の | 格助詞の主格。意味は「~が」。 |
3 得たり | 手に入れた。「得」はア行下二段動詞。「たり」は完了の助動詞。 |
4 たゆみなく | 緩みなく。 |
5 所動的 | 受動的。 |
6 当たりたればにや | 触れたからであろうか。「にや」の後に「あらん」が省略されている。 |
7 雄飛すべき | 飛躍するだろう。 |
8 よろしからず | 相応しくなく。 |
9 法典をそらんじて | 法典を暗唱して。 |
10 獄を断ずる | 罪人を裁く。 |
11 思ひぬ | 感じていた・思っていた。 |
12 思ふやう | 思うことには。 |
13 活きたる辞書となさん | 生きた辞書にしよう。「ん」は意志の助動詞。 |
14 とやしけん | ~としたのだろうか。「や」は係助詞の疑問。「けん」は過去推量の助動詞。 |
15 辞書たらんはなほ堪ふべけれど | 辞書であるようなことはそれでもなお堪えられるが。「ん」は婉曲の助動詞。「べかれ」は可能の助動詞。 |
16 忍ぶべからず | 堪えられない。「べから」は可能の助動詞。 |
17 瑣々たる | つまらない。 |
18 いらへしつる | 返事をしていた。「つる」は完了の助動詞。 |
19 寄する | 送る。 |
20 法制の細目にかかづらふべき | 法制の詳細にこだわるべき。「べき」は当然の助動詞。 |
21 ひとたび法の精神をだに得たらんには | 一度法の精神さえ得たならば。「たら」は完了の助動詞。「ん」は仮定の助動詞。 |
22 紛々たる万事は破竹のごとくなるべし | ごたごたした複雑な万事は割った竹のように解決するだろう。「ごとく」は比況の助動詞。「べし」は推量の助動詞。 |
23 蔗を嚼む境 | 物事の面白みを感じる境地。 |
24 用ゐるべき器械をこそ作らんとしたりけめ | 利用できる機会を作ろうとしたのだろうか。「べき」は可能の助動詞。「こそ」は係助詞。「ん」は意志の助動詞。「たり」は完了の助動詞。「けめ」は過去の原因推量の助動詞。 |
25 いかでか喜ぶべき | どうして喜ぶだろうか(いや喜ばない)。「か」は係助詞の反語。「べき」は推量の助動詞。 |
26 讒誣する | 事実を曲げて人の悪口を言う。 |
27 されどこれとてもその故なくてやは | しかしこれだって理由なくしてそうするだろうか(いやそうしない)。「やは」は係助詞の反語。「やは」の後に「あらん」が省略されている。 |
28 球突きの棒 | ビリヤードのキュー。 |
29 かつは | 一方では。 |
30 嫉みたりけん | 妬んだのだろう。「けん」は過去推量の助動詞。 |
31 いかでか人に知らるべき | どうして他人に知ることができようか(いやできない)。「か」は係助詞の反語。「る」は自発の助動詞。「べき」は可能の助動詞。 |
32 避けん | 避けよう。「ん」は意志の助動詞。 |
33 似たり | 似ている。「り」は存続の助動詞。 |
34 有為 | 才能があって役に立つ。 |
35 せきあへぬ | 止めることのできない。 |
36 手巾 | ハンカチ。 |
37 怪し | みっともない。 |
38 なかなかに | かえって。 |
39 にやありけん | ~であっただろうか。「や」は係助詞の疑問。「けん」は過去推量の助動詞。 |
40 や生じけん | 生じたのだろうか。「や」は係助詞の疑問。「けん」は過去推量の助動詞。 |
41 嘲るはさることなり | ばかにして笑うのはもっともなことである。「なり」は断定の助動詞。 |
42 愚かならずや | 愚かではないだろうか。「や」は係助詞の疑問。 |
43 ふびんなる心 | 不憫な心・哀れな心。 |
44 赫然たる | 輝いている。 |
45 就かん | 就くような。「ん」は婉曲の助動詞。 |
46 貴族めきたる | 貴族めいている・貴族らしく装っている。「たる」は存続の助動詞。 |
47 レエベマン | 遊び人・道楽者。 |
48 ならで | だけでなく。「で」は打消の接続助詞。 |
49 暫時の間 | しばらくの間。 |
50 無量の艱難を閲し尽くす | 計り知れない苦しみを味わいつくす。 |
『舞姫』現代語訳(第三段落)
こうして 3 年ほどは夢のように経ったが、時間が経つと包み隠しても隠しきれないのは人の好みなのだろう、私は父の遺言を守り、母の教えに従い、人が「神童だ」と褒めるのがうれしくて、怠けず勉強していた時から、官長が「よい働き手を得た」と励ますのが喜しくて、緩みなく働いた時まで、ただ受動的、器械的な人物になって、自分から何かを悟ることがなかったが、今 25 歳になって、すでに長くこの自由な大学の雰囲気に触れたからだろうか、心の中がなんとなく穏やかでなく、奥深く沈んでいた本当の自分が、しだいに表に現れてきて、昨日までの自分でない自分を攻めるのに似ている。私は自分が今の世界で飛躍するだろう政治家になるにもふさわしくなく、また上手に法典を暗唱して罪人を裁く法律家になるにもふさわしくないことを悟ったと感じていた。私がひそかに思うことには、母は私を生きた辞書にしようとし、官長は私を生きた法律にしようとしたのだろうか。辞書であるようなことはそれでもなお堪えられるが、法律であることは堪えられない。今まではつまらない問題にも、たいへん丁寧に返事していた私が、この頃から官長に送る文書に、しきりに法制の詳細にこだわるべきでないことを論じて、「一度法の精神さえ得たならば、ごたごたした複雑な万事は割った竹のように解決するだろう」などと大きなことを言った。また大学では法学科の講義をよそにして、歴史・文学に心を寄せ、しだいに物事の面白みを感じるようになった。
官長は始めから意のままに使える器械を作ろうとしたのだろう。独立の思想をいだいて、人並み外れた顔つきをした男をどうして喜ぶだろうか、いや、喜ばない。危ないのは私の当時の地位であった。しかしこれだけでは、やはり私の地位を覆すには足らなかっただろうが、日頃、ベルリンの留学生のなかで、ある勢力がある人々と私の間に、面白くない関係があって、その人々は私を疑い、またついに私を讒言する事態になった。しかし、これについて私に原因がまったく無かっただろうか、いや、ある。
その人々は私が一緒にビールの杯を挙げず、ビリヤードのキューも取らないのを、頑固な心と欲をおさえる力のためだと結論付けて、一方では馬鹿にして、一方では妬んでいたのだろう。しかし、これは私を知らないからである。ああ、この理由は、私でさえ知らなかったのだから、どうして他人に知ることができようか。私の心はあの「ねむ」という木の葉に似て、物に触れると縮んで避けようとする。私の心は処女に似ている。私が幼い頃から年長者の教えを守って、学問の道をたどったのも、役人の道を歩んだのも、すべて勇気があってしたのではなく、忍耐力と勉強力と見られたのも、すべて自分を偽り、他人までも偽ったからであって、他人が私にたどらせた道を、ただ一筋にたどってきただけなのだ。よそに心が移らなかったのは、他の物を捨てて自分を顧みるほどの勇気があったからではなく、ただ他の物を恐れて、自分で自分の手足を縛ったからだけである。故郷を出る前にも、自分が役に立つ人物であることを疑わず、また自分の心がよく我慢できることも深く信じていた。ああ、それも一時。船が横浜を離れるまでは、すばらしい豪傑と思った私も、止めることのできない涙でハンカチを濡らしていたことを我ながら「みっともない」と思ったが、これもかえって私の本性であったのだ。この心は生まれながらのことであったのだろうか、また早くに父を失って母の手で育てられたために生じたのだろうか。
あの人々のばかにして笑うのはもっともなことである。けれど妬むのは愚かでないのか。いや愚かだ。この弱く不憫な心を。
赤く白く顔を塗って、輝いている色の服を着て、喫茶店に座って客をひく女を見ては、側に行ってこれに就くような勇気もなく、背の高い帽子をかぶって、めがねに鼻をはさませて、プロシアでは貴族らしく装って鼻音で物を言う「レエベマン」を見ては、側に行ってこれと遊ぶような勇気もない。これらの勇気がないので、あの活発な同郷の人々とつきあう理由もない。この交際を嫌う気性のために、あの人々は私を嘲り、私を妬むだけでなく、また私を疑うこととなった。これこそ私が冤罪を背負って、しばらくの間に計り知れない苦しみを味わいつくす媒介となったのだ。
『舞姫』第三段落重要箇所
いかがでしたでしょうか。
第三段落で特に重要な箇所は次の通りです。
・「奥深く潜みたりしまことの我」とは、どのようなことでしょう?
→官長の手足となって働くのではなく、歴史や文学に関心を持ち、独立の思想を抱きはじめた境地。
・「昨日までの我ならぬ我」とはどのようなものでしょう?
→母や官長などの他人に期待されたものに合わせて生きてきた私のこと。
・「我が本性」とはどのようなものでしょう?
→涙を流さずにはいられないような豊太郎の内面の弱さ。
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