近畿大学の古文の入試問題の解説(2011年)の続き

では、前回の続きの2011年のA日程の古文の入試問題の後半の部分を学習します。

後半の文章と問題は以下の通りです。

後半の本文

次の文章を読んで、後の問いに答えよ。

されば⑥世のうつりもてゆくにしたがひて、いよいよ詞にあやをなし、よくよまむともとめたくむかた、次第次第に長(ちやう)じゆくは、⑦必ず然らではかなはぬ、おのづからの勢ひにて、後世の歌に至りては、⑧実情をよめるは、百に一つも有がたく、皆作りごとになれるなり。然はあれども、その作れるは、何事を作れるぞといへば、その A こそ、世々にかはれることあれ、みな世の人の思ふ心のさまを作りいへるなれば、作り事とはいへども、⑨落(おつ)るところはみな、人の実情のさまにあらずといふことなく、古への雅情にあらずといふことなし。
(本居宣長『うひ山ぶみ』)

後半の設問

問六 傍線⑥はなぜか。最も適切なものを次の中から一つ選べ。

ア 人に受け入れてもらうための、よりよい表現を模索し続けるから

イ 時代が変わると、手の込んだ表現への評価が高くなってくるから

ウ 時が経つにつれて、聞く人への配慮が次第になくなるものだから

エ 人に聞かせるには、長めの表現が良いと思われるようになるから

問七 傍線⑦はどのようなことか。最も適切なものを次の中から一つ選べ。

ア 必ずしも叶うことのない、詠み手の願い

イ 必ずそうなってしまう、自然の成り行き

ウ 必ずそうせずにはいられない、歌の本質

エ 必ずうまくいかなくなる、自分のやり方

問八 傍線⑧はどのようなことか。最も適切なものを次の中から一つ選べ。

ア 本心を詠んでいる人が、百人中一人いるだけでもありがたく、皆歌をそれぞれ異なる手法で作ろうとしている

イ 本心を詠める人は、百人のうち一人でもいればいい方で、たいていの人はそのような技術をものにはできない

ウ 本心を詠んでいる歌は、百首のうち一首あるのも珍しいくらいで、どの歌も文彩をこらしたものになっている

エ 本心を詠み込める技術が、百に一つもあれば大助かりで、皆いろいろな歌の技術を作ろうと試行錯誤している

問九 空欄Aに入る言葉として、最も適切なものを次の中から一つ選べ。

ア 実情のさま  イ 聞くさま  ウ 作りざま  エ 思ひざま

問十 傍線⑨はどのようなことか。最も適切なものを次の中から一つ選べ。

ア 終わりの様子  イ 失敗する箇所  ウ 心配すべき点  エ 結局のところ

後半の設問の解説

では、問六の問題から見ていきましょう。

問六は、傍線⑥の現代語訳からその理由を推測するという問題です。現代語訳ができれば、まったく難しくありません。

傍線⑥の現代語訳は次の通りです。

「時代が移り変わっていくことに従い、ますます言葉に技巧を凝らし、上手に詠もうと趣向を凝らすため、だんだん長くなっていく」

あとは、「ますます言葉に技巧を凝らし、上手に詠もうと趣向を凝らす」人が、表現を長くする理由を選べばよいということですので、正解はアになります。ウは、「聞く人への配慮が次第になくなる」という所が、本文にありませんので、×です。イは、傍線⑥が「時代が変わるにつれて、趣向を凝らした表現が長くなっていく」とは言っていますが、「評価が高くなってくる」とは、言っていませんので、間違いとなります。エは、長めの表現が良いか悪いかという評価について本文では述べていないため、間違いとなります。

問六の正解:ア 人に受け入れてもらうための、よりよい表現を模索し続けるから

次に、問七の傍線の意訳の問題ですが、この問題のポイントは二つあります。

1、古文単語の「おのづから」の意味が分かるか。
2、「で」と「ぬ」の意味が分かるか。

「おのづから」は「ひょっとして、偶然、自然と」という意味の重要単語で、板野先生の『ゴロで覚える古文単語ゴロ565』にも載っています。今回は「自然」という意味になります。「で」と「ぬ」は両方とも打消の意味があります。「で」は打消の接続助詞で、「~ないで、~ずに」と訳します。「ぬ」は打消の助動詞「ず」の連体形です。

傍線⑦を逐語訳すると、「必ずそうではないとは当てはまらない、自然の成り行き」というものになり、「そうではないとは当てはまらない」という二重否定は、強い肯定を意味しますので、意訳すると、「必ずそうなっていく、自然の成り行き」という訳になります。

この訳に近い選択肢は、イです。

問七の正解:イ 必ずそうなってしまう、自然の成り行き

次に、問八の傍線の意訳の問題ですが、作者の本居宣長が用いている「実情」と「作りごと」の意味が分かれば、簡単な問題です。
実は、「実情」に関しては、選択肢に意味が載っています。すべての選択肢が、「本心」と訳しており、「本心」の反対が「作りごと」ということになります。選択肢の中で、本心ではないものは、ウの「こしらえてもの」であり、よって正解はウになります。

問八の正解:本心を詠んでいる歌は、百首のうち一首あるのも珍しいくらいで、どの歌も文彩をこらしたものになっている

次に、問九の空欄問題ですが、空欄A以降の文章、「世々にかはれることあれ、みな世の人の思ふ心のさまを作りいへるなれば、作り事とはいへども」の現代語訳ができれば、入る言葉が分かります。訳は「時代によって変わることであって、すべて世の人の思った心の内容を歌にしたと言えるので、そらごととは言っても」となり、「作り事」のことについて述べている文章であるので、「作り事」に関連性が高い選択肢を選びます。よって、ウの「作りざま」が正解になります。

問九の正解:ウ 作りざま

最後に、問十の文脈から傍線の意味を選ぶ問題ですが、今でも「話のオチ」というように「落つ」には、「結末」という意味があります。よって、答えは、エの「結局のところ」が正解になります。アは「終わり」という所は、合っていますが、「様子」という所が違います。

問十の正解:エ 結局のところ

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現代語訳

そうであるから、時代が移り変わっていくことに従い、ますます言葉に技巧を凝らし、上手に詠もうと趣向を凝らすため、だんだん長くなっていくのは、必ずそうなっていく、自然の成り行きであり、後世の和歌に至っては、誠の心を詠んだものは、百首あって、一つもあるかないかで、みんな(技巧を凝らし過ぎた)そらごとになっているのである。そうあっても、(技巧を凝らして)作るというのは、何を作っているかと言うと、(技巧を凝らして)作るとは、時代によって変わることであって、すべて世の人の思った心の内容を歌にしたと言えるので、そらごととは言っても、結局の所は、すべて人の誠の心の内容でないということはなく、昔の雅な心でないと言うこともない。

いかがでしたでしょうか。

後半は本文の内容読解の問題が多かったですが、本文の表現自体は難しくないため、「和歌で技巧を凝らして作ることの良し悪し」というテーマが分かっていれば、それほど迷うことなく、正解にたどり着ける問題となっています。

いやー、面白い内容でした。
私は和歌を作るのが
趣味なので、
とても参考になりました。

タイさんじゃなかった、マグロさんは和歌が趣味なんですか?

そうなんですよ。
藤原定家が好きなんですよ。
近大で、歌論の入試問題が
ありましたら、また来ます。

どうぞ、どうぞ。お待ちしております。

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